日本刀 日本刀

袖の雪

昭和五十年代半ばのこと、ある美術館で名刀展が開催された。ここで原因不明のきみょうな出来事が起こった。

展覧会初日から五日目の事である。深夜12時30分ころ、突然館内に防犯ブザーが鳴り響いた。宿直の男性職員が急いで展示場に駆け付けたが何事もなかった。翌日また昨日と同じ時刻に突然防犯ブザーの音が響いた。そして次の日も、また次の日も同様の出来事が続いたのである。

ある学芸員が声をあげた。「もしかしてあの太刀が・・・」

それは「袖の雪」の号をもつ、鎌倉時代末期に活躍した備前国の刀匠・助次の太刀である。黒漆塗りの白鞘に金字で由緒が書かれている。「天正三亥年五月二十日子の下刻、武田兵庫頭信実討死の刻、三州名倉住奥平喜八郎信光得之」 天正三年五月二十日の深夜十二時~一時に、武田信実(安芸武田氏最後の党首)が討ち死にした。三州(三河国)名倉城主・奥平信光が、この太刀を分捕った、という意味である。

連日防犯ブザーが鳴るのは、ちょうど「子の下刻」。しかも、この袖の雪の隣には、奥平信光と共に武田方に攻め入った酒井忠次の佩刀・国宝「真光(さねみつ)」が展示されている。これは武田信実の怨霊の仕業ではないかと、一同体を震わせた。

その日の夜は、閉館後、袖の雪を保管庫に引き揚げてみた。美術館の館長も、深夜まで様子を見ていたが、この夜は、防犯ブザーは鳴らなかった。信実の怨霊説はますます強まり、翌日供養の為のお経をあげてもらったという。

たくさんの日本刀の種類をみていきます。色々な日本刀があります。